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第16回 五島で輝いている人

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桶光

宮崎 光一さん

日本でもめずらしくなっている桶職人を生業としているのは、宮﨑光一さん、26歳。

小学生の頃からお父さんと一緒に桶職人の元へ通い、小刀で木を削るのが楽しく、コマや竹トンボをつくったりして“モノづくり”の楽しさを感じていたと言います。

実際に夏休みの工作で桶をつくったり、成長する過程でも桶職人の元へ通ってはいたものの、「まさか、自分が桶職人になるとは思っていなかった」という光一さん。

そんな彼を「桶職人の道」へ導いたのは、何だったのでしょうか?

桶職人になることを決意したきっかけ

単純に言うと、2016年1月に小豆島(しょうどしま)で行われた「木桶職人復活プロジェクト」がきっかけでした。

ただ、最初、そこに参加したのは「(大きな桶づくりを)どんな風につくっているんだろう?ちょっと見てみよう!」というとても軽い気持ちでした。

ですが、実際に見てみると自分たちがつくっているものをつくるのと、理屈は同じだがスケールが全く違いました。そして、何よりも桶に携わる人が多いことにとても驚きでした!その中でも自分と年齢が近い30代前半の現役の桶職人がいたのは、かなり衝撃でした。なぜなら、自分の中で「桶屋」を職業としてみていなかったからです。実際につくって、売って、それで生計を立てている… もちろん、自分の師匠もそうやってきていましたが、それは一昔前の話。現在、この時代に若くて現役バリバリでされている人に初めて出会い、正直「カルチャーショック」でした。

それと、桶を使っている人たち、例えば他の蔵(くら)の方たち、そしてその蔵でつくっている味噌や醤油を使っている料理人さんなど、細かい関わりをしている人たちがとても多く、全国的に桶を必要としている人がこんなにたくさんいる。なくて困っている人もいる… そういう状況を目の当たりにして、「自分が桶屋にならないといかん。独立しよう。」という思いが芽生えました。それと、その1ヶ月前に師匠から「一人でやる準備をしておけ」と言われていた言葉もリンクし、すべてが「タイミング」と感じ、独立を決意し、その後2016年4月には「桶光」を開業しました。

大切にしていること

「桶」というモノは、一度買ってそれをそのまま一生使うというモノではなく、メンテナンスをしながら長く使ってもらうモノなので「修繕しやすいように」、そして「50年後も100年後も使えること」を見据えてつくっています。

これまでも、何十年も使っているものの修理を頼まれることがありましたが、きちんとつくられたモノはタガを取り替えて、木の表面を削るだけでピカピカになり、新品同様に仕上がります。

もちろん「使えなくなったら捨てる」という文化が悪いとは思っていませんが、自分は一つのモノをそうやって長年大事に使うことが好きですね。

そして、もう一つ大切にしているのが桶についての「正しい知識」を伝えていくということ。例えば、カビてすぐに使えなくなるのではないか?などの間違った情報だけで、この桶が消えていくのはもったいないと思うので、実際に桶とは「どういうモノか?」「どのようにしてつくられ、どんな風に使えばいいのか?」などをお伝えするワークショップを行っています。今は県外の催事で販売する際に行っていますが、これからは、五島の中でも行っていく予定です。

独立して大変だったこと

独立するまでは、自分がおもしろくて趣味的な感覚でつくっていましたが、仕事として人にお金を出して買ってもらうとなったときに、自分のつくりたいモノではなく、相手の求めるモノをつくる必要があるということに戸惑いがうまれました。例えば、現代使用する上で使い勝手の良いモノにするためには、自分の中の「桶とはこういうモノ」という考えを捨てる必要があり、趣味の領域から仕事の領域につくり方や考え方を変えることが、最初の一年とても大変でした。そして、この大変な時期を乗り越えられたのは、大阪のきしな屋さんの多大なご協力があったおかげでした。今もお客様のご意見を取り入れながら、もっと良いモノを… という意識で常に改善改良をしています。

五島の伝統芸能とともに…

最近は五島の伝統芸能であるチャンココで使われている桶太鼓の修理を頼まれることもあります。それと修理だけではなく、新しくつくりたいと依頼があり、とても嬉しく感じました。五島の人口はどんどん減っていて、伝統を引き継いでいくことは、決して容易ではないことを考えると、自ずと「良いモノをつくらないかん!」と気持ちも引き締まりました。幸い自分はまだまだ20代、生涯現役と思っているので今後50年以上は面倒見ていける… それが、自分の役割のように感じています。

今後の方向性

全国に「桶」を拡めていくというビジョンの元、ワークショップなどの活動範囲を広げていくことと、更にSNSなども活用していくことを考えています。

また、これまでは「桶に興味のある人」を対象に詳しい説明を加えて深い話をしていましたが、これからは桶にまだ興味のない人にも桶の魅力を伝え、少しでも興味を持ってもらい、桶を使用する人たちを全国的に増やしていきます。

fullyGOTO2018秋号掲載

【取材・執筆・掲載】fully編集部

五島ではたらく若者応援 fullyGOTO2018秋号 表紙の顔

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fullyGOTO 2018年 秋号

表紙の顔 藤原 理穂さん

今号の表紙に登場していただいたのは、新上五島町の居酒屋「海鮮処 酔道蔵(すいどうこ)」で働いている藤原理穂さん(26)。島を離れたことがない生粋の上五島人です。表紙ではしっとりと落ち着いた雰囲気ですが、よく動いて何でもテキパキとこなす仕事ぶりは店主の信頼も厚く、今やお店に欠かせない存在となっています。

高校を卒業後、島を離れる子どもがほとんどです

私は、ずっと島で暮らしています。島を出ようと思ったことも、出たいなと思うこともありますが結局、残っています。今は、平和に暮らしていくことができれば、それでいいと感じています。小学生のころはお花屋さん、中学・高校生のときは料理関係の仕事に就くのが夢でした。

酔道蔵での仕事のやりがいは?

スタッフが私しかいない日は、忙しくなってしまうと少しキツいな、と感じることもあります。ですが、そんな日は仕事をやり終えたときに達成感もあって、やりがいを感じます。

それと、私以外に若いスタッフがあと2人いますが、みな仲が良く、ワイワイと職場の雰囲気も明るくて楽しいです。

若者目線で、島にあったらいいと思うものは?

24時間営業している食べ物屋があったらいいな、と感じています。島では、どのお店も早く閉まってしまうので。ファミレスがあってもいいですね。

応援企業

海鮮処 酔道蔵 様

「酔道蔵」が店を構えるのは、飲食店が数多く集まっている新上五島町の中心市街地・浦桑地区。店主の江口真良(えぐちまさよし)さん(45)は大阪で10年以上、和食の修業を積んだ経歴を持つ本格派です。

お店は3年間、現在の形態でオープン。地元でとれた海・山の食材と、焼酎を中心とするこだわりの地酒で人気を集め、常連客も多いようです。

人気メニューは、やはり「刺身の盛り合わせ」(1500円)や「すり身揚げ」(600円)といった島らしい魚料理。刺身の盛り合わせはカツオやアジ、イカなど、脂ののった旬の魚をふんだんに使い、来店者を満足させています。

 もともと理穂さんの妹さんが酔道蔵で働いていましたが退職したため、店主が顔見知りだった理穂さんに働かないか、と声を掛けました。

「お客さんが少なそうな時は私と2人で店を回しますが、よく働きどんな仕事もスペシャリスト」と江口さんもその仕事ぶりには太鼓判。今や、なくてはならない存在のようです。

理穂さんは、非常に評判がいいそうですね

とても人あたりが良く、お客さんの気分もよくしてくれるので、客商売に向いていると思います。接客から洗い物など中の仕事まで何でもこなしてくれ、とても助かっています。

fullyGOTO2018秋号掲載

【取材・執筆・掲載】fully編集部

第15回 五島で輝いている人

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くらしの学校「えん」

小野 敬さん

神奈川県横浜市で生まれ育った小野敬さん、45 歳。大学を卒業後、東京に就職されましたが、1 年で退職。かねてより夢見ていた「自給自足のくらし」を実現したい想いで国内外を旅し、縁あって五島( 中通島) へ25 歳のときに単身で移住。全財産は4 万円だったと言います。廃屋同然の家に住み、生活環境を整えるため、湧き水を引き、橋をかけることから始められ、塩づくりをスタートされました。それから20 年目に入る今年、現いま在では、年に3 回「しまキャンプ」を開催し、昨年度より山村留学生の受入れも積極的に取組まれています。単身で始めた生活も14 年前に人生の伴侶を得、お子様にも恵まれ、にぎやかな暮らしになりました。

「自給自足のくらし」を夢見るようになったきっかけと五島に辿り着いた経緯をお聞かせください。

元々は、田舎のこどもが都会に憧れるように、都会で生まれ育った自分にとっては田舎のくらしが憧れでした。

こどもの頃は、 ※「北の国から」というドラマが好きで、よく観ていました。

そんな子供時代を過ごし、大学生になって行った北海道一周旅行では「必ず『富良野』には立ち寄ろう」と決めていて、実際に行きました。そのほか、ブラジルやアメリカにも旅をし、そのような暮らしをしたいという想いは更に高まりました。

大学卒業後はサラリーマンも経験しましたが、その想いはなくなることはなく、1年で退職し、理想の生活を送るための場所を探す旅に出ました。2年半ほど、日本全国をヒッチハイクをしたり、お金がなくなれば現地でアルバイトをしたりという生活を送り、ほぼほぼ「長野県」で決まりかけていた頃、もう一度九州に行ってみたくなりました。

そんなとき、友人から五島で「自給自足生活を送っている人がいる」と教えてもらい、お会いする機会を頂きました。その時、一緒に「塩づくり」をされている方とも話ができ、「これから『塩づくり』を地域の産業にしていきたいから、若者の手を借りたい。」ということで、お誘いを頂き、二つ返事で移住を決めました。

※1981 年~ 2002 年北海道の富良野市が舞台。

大自然の中で暮らす一家の姿を描いたドラマ

「くらしの学校『えん』」の名前の由来を教えてください。

えん…塩づくりの「塩えん」。ご縁がつながる「縁えん」。循環する「円えん」。他にも色々ありますが、主にこの3つの「えん」の意味から名付けました。

「しまキャンプ」を始めたきっかけは何ですか?

友人に誘われスタッフとして大村で開催されたキャンプに参加した際に、「自分でもやりたいなぁ」という想いが芽生えました。翌年、文部科学省委嘱事業として補助金の募集があったので応募したところ採択されたので、それをきっかけに始めました。一番初めの参加者は11人でした。火をおこすための流木集めから始まり、自分たちで火もおこすので、それがなかなかうまくいかず、一日中ご飯を作っていたのを思い出します。女の子の参加者もいて、最初は「家に帰りたい」と泣いていましたが、キャンプが終わる頃には「家に帰りたくない」と泣いていました(笑)。普段何気なく与えられている生活環境のひとつひとつを自分たちの手でつくり上げることによって、その大切さに気づき、感謝する心をもち、自分ひとりでは出来ないことを仲間と助け合うことで克服し、協調性・社会性をはぐくんで欲しいそんな想いから開催しています。現在では春・夏・秋と年に3回定期的に開催し、今年の夏では47回目を迎えます。参加者は、長崎県内を中心に九州北部地区から来られる方々が主ですが、全国各地から集まります。

「山村留学」を始めようと思った理由、そして実施されてみていかがでしたか?

これまで18年「しまキャンプ」をやってみて感じたのが、キャンプはどうしても短期間なので、「非日常」であり、「思い出」という形で終わってしまうということです。そうではなく、日常をこの場所で過すことで感じることはもっともっとたくさんあるので、それを味わわせてあげたいという想いから昨年度から受入れを始めました。実際、一年間過してみて、思っていた通り留学生にとってはもちろんですが、地元の子ども達にとっても素晴らしい影響や成果があったように感じています。

今後、目指すところを教えてください。

自給自足生活のベースは、ほぼできつつあるので、今後は山村留学生の受入れに力を入れていきたいと思っています。常時3名の留学生がいるのが理想ですね。

fullyGOTO2018夏号掲載

【取材・執筆・掲載】fully編集部

五島ではたらく若者応援 fullyGOTO2018夏号 表紙の顔

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fullyGOTO 2018年 夏号

表紙の顔 木村 愛莉さん

今回、表紙を飾ってくれたのは、木村愛莉さん25歳。大学院を卒業後、1年前に五島へ移住してこられました。jasmine事業の傍ら、現在は、大工の見習いとしても建築の現場に入っておられます。表紙のイメージからは想像もつかない、大工仕事もこなす、そのギャップがまた彼女の魅力を引き立てます♪

五島に来られたきっかけを教えてください。

就職です。大学在学中から、卒業後の五島への移住を踏まえ、五島にまちづくりの活動拠点をつくるプロジェクトメンバーになったのがきっかけです。

これから五島でどういう活動をしていきたいですか?

たくさん島中に眠っている空き家の改修を、現場を知っている人間が直接お施主さんと会話をしながらやっていけたらすごくいいなと思っています。そして、つくるものは、絶対にいいものであることにこだわりたいです。現場に軸足を置いた、建築の設計施工って言うのでしょうか・・・。今は、尊敬してやまない奥浦の大工さんの元で修行中です。自身の働き方自体も、開拓していけたら面白いなと思っています。

若者からみて、五島にあったらいいなと思うものはありますか?

何もいらないです。このままであって欲しいです。

 

応援企業

Jasmin様

jasmine様の発端は、九州工業大学の准教授で、一般社団法人リノベーションまちづくりセンター代表の徳田光弘さんが、2年前に五島での講演依頼を受け、初めて五島を訪れた際、五島がもつすばらしいポテンシャルに魅了され、ここで島の人々とともにまちづくりを新しく挑戦してみようと決められたことがきっかけです。

当時、徳田研究室所属で大学院2年生だったあいりさんを、このプロジェクトに誘いました。すると「やったー!就活終わったー!」と持ち前の明るい性格で返事されたそうです(笑)一昨年4月から去年3月までの間に、手始めに、まちづくり拠点をどのように設えるか、あいりさんの修士論文のテーマで企画から設計までを考えました。卒業後、去年4月より実際にあいりさんが移住され、施工・運営を開始。同年7月にはjasmineの2階が一日一組限定の宿としてオープン、今年夏には1階部分がオープンします。(P16参照)オープン特価料金

素泊まり 2名利用【1人当たり6、000円/泊】3~5名利用【1人当たり5、500円/泊】※未就学児:無料 小学生:2、000円

(2018年秋より 料金改定予定) TEL:090‐4581‐9888

あいりさんをプロジェクトに誘われた決め手は何ですか?

つまるところ人柄です。彼女ほど人への心遣いができる、みんなに愛される人はいないと思いました。

fullyGOTO2018夏号掲載

【取材・執筆・掲載】fully編集部