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【五島を知る】五島の民謡【五島市】

 民謡と聞くと、どんなイメージが思い浮かぶでしょうか?大昔の歌・伝統・おばぁちゃんしか知らないもの……。筆者はそんなことが頭に浮かんできました。「誰が作ったの?」、「いつが始まりなの?」など考え出したらきりがありません。

民謡の歴史を語る中村さん

 そんな民謡を学芸員として歴史的な目線から研究し、今も歌い継いでいるのが中村真由美さんです。資料館に勤めていた中村さんは退職後、五島の民話や民謡を本格的に勉強し、伝えていく活動を始めたそうです。

 五島の民謡では特に歌われることの多い、「岐宿の子守歌」という曲があります。子守歌という位ですから、母の愛情を赤ん坊へ歌った曲なんだろうかと想像したところ、「この歌は恨み節なんですよ」と中村さん。時代背景をお聞きしたところ、五島藩で最も長寿であった27代藩主である盛道公の時代までさかのぼるそう。藩は財政難の対策として、百姓や漁師、職人の家の長男・長女を除く子どもを3年間、武家の屋敷等で働かせる「三年奉公」という制度を作りました。その労働はとても過酷で、人権を無視したような耐えがたいものだったといいます。恨み節とはその労働に向けられたものであるというのですから、とても歌のタイトルからでは想像がつきませんよね。多くの人が語ってきた様々な「恨み節」。最終的にはそれらを集めて、五島の郷土史家である故・松山勇さんが1曲にしたのが、「岐宿の子守歌」だということです。

中村さんの話を熱心に聞くツアー客

 「当時の人たちの暮らしがどんなものであったのかを思い浮かべながら聴くと、よりその民謡に入り込むことができますよ。」と中村さんは言います。民謡は特定の作詞・作曲者がいるわけではなく、時代とともに歌い継がれてきたものが形を変えたり、その地区の色になったりして出来上がっていくもの。

 「五島さのさ」もそのひとつで、こちらの民謡の起源は藩政時代(藩政が行われていた江戸時代)だといわれているそうです。「さのさ」の民謡自体は他の地域にもあったのですが、五島に行き来する船の船乗り達が歌っていたものを現地五島の人間が覚え、長い年月を経て五島流になったのが「五島さのさ」。現代のようにピアノやギターで作曲ができる訳ではなく、頼りになるのは人の口から奏でられたメロディーと歌詞のみ。正確な楽譜がないからこそその地域の特色に染まり世の中に馴染んでいく、何ともロマンにあふれるものです。

「武家屋敷ふるさと館」でのツアーの様子
手拍子に合わせて民謡を披露

 そんな民謡の今後の課題と言えるのが、歌い継ぐ活動ができる後継者がいないということ。「今も探していますが、なかなか…。」と中村さんもこの先の民謡をどうやって伝承していくかに不安があるとのことです。現在、中村さんは民話や民謡を子どもたちへ語り継ぐ活動や、ホテルに宿泊した観光客へ向けて披露していますが、その活動ができるのは、今や五島市では中村さんひとりしかいないという状況。

観光客とのふれあいも

 「沖縄に旅行に行けば、必ずお店やホテルに三線や歌を披露する人がいます。五島でもそうやって、来てくれた観光客の方をおもてなしができればと思います。見世物小屋のように、日替わりで五島の伝統芸能を披露できるような場所が出来ればきっと夜の街も賑わうと思います。私の夢のようなものですね。」と中村さん。民謡の伝承や歌を披露することに興味がある方はぜひ、中村さんに相談してみてはいかがでしょうか?きっと大歓迎です。

 

最後までお見送りをする中村さん

 歴史を振り返ることは興味深く、知れば知るほど楽しいもの。そして先人が伝えてくれた文化を芸能として披露するということは、多くの人に喜んでもらうことができ、島の未来に繋がるとても大きなエネルギーを持ったものだと感じました。何気なく聞いて育った懐かしいメロディー。もう一度意味を考え直して、身近な人に伝える所からはじめてみませんか?あなたの語ったその一節が、知らないうちに歴史になる日がくるかもしれません。

【取材・執筆・掲載】fully編集部
【掲載先】fullyGOTO2022冬号

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