五島列島を満喫するフリーマガジン「fullyGOTO」と地元在住のライターチーム「fumoto」が取材した記事を発信する、情報サイト

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こども自然公園大会

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更新日:2019510

毎年53日は、鬼岳で「こども自然公園大会」を開催しています。
令和元年53日(金曜日)、令和となって初めての大会を開催しました。

当日は天気にも恵まれ、ゴールデンウィーク中ということもあり、朝から凧揚げや草スキーをして遊びまわる子どもたちで賑わっていました。
福江の町が一望できる最高の景色の中、五島高校吹奏楽部による素敵な演奏も。訪れている人たちは、音楽に合わせて手拍子をしながら、景色と音楽を楽しんでいるようでした。

また、雲ひとつない空にはたくさんの凧が揚がり、中でも、五島市の民芸品であるバラモン凧は一際存在感を放っていました。他の凧に比べて揚げるのが難しいようで、なかなか揚がらずに苦戦しつつも、巧みな技術によって空に舞い上げる姿はまさに名人芸。
訪れている人たちも歓喜の声をあげ、たくさんの人がカメラを向けていました。

 

こども自然公園大会

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「こども自然公園大会」が鬼岳で開催され、たくさんの家族連れがバラモン凧揚げ、ジオツアー、草スキーなど自然の遊びを楽しみました。「風が来たぞ!もっと紐ひかんば!走れ走れ!」と、凧揚げに奮闘する人に笑顔で声をかける男性も。バラモン凧は、ブーンと独特の音を響かせながら澄み切った空をゆったりと泳ぎます。また、会場では五島高校吹奏楽部がダンスを織り交ぜながら演奏を行い、訪れた方を楽しませました。(取材:fumoto)

 

富江半島ブルーライン健康ウォーク

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富江半島を元気にウォーキング!
「富江半島ブルーライン健康ウォーク」が、さんさん富江キャンプ村で開催されました。517人のが参加者が、半島から見える広々とした景色を眺めながら、それぞれ4km、8㎞の道のりをウォーキング。初めての参加という30代の参加女性からは「普段は歩かないから疲れたけど、出店がたくさんあって楽しい」との声も。会場ではGW産業市も同時開催し、多くの方で賑わいを見せました。(取材:fumoto)

第18回 五島で輝いている人

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Wood craft tableware

川口 伝恵さん

新上五島町丸尾地区には、木材がぬくもりある逸品に生まれ変わる場所がありました。

浦桑から津和崎方面に車を5分ほど走らせたところにある民家の脇にたたずむのが、川口伝恵さんの営む木工食器・雑貨のお店「木・haru」です。

初めてのものづくり

川口さんは福岡出身。福岡での会社員時代に知り合った新上五島町出身のご主人と結婚し、この地にやってきました。

「それまでは何かを作るようなことはしていなかったけれど、たまたま参加した糸紡ぎの会にはまってしまって。

古い布団の棉を原料に糸を紡いで、それをこの土地の草木で染めて糸づくりをしてました。」

ここで始めた糸作りが、「木・haru」誕生のきっかけとなります。

「ある時、椿を使った木工細工をする人を募集しているのを知ったんです。そこに参加して今度は木工を勉強しました。作った糸を織ったり編んだりして小物を作っていたので、それに合うボタンが欲しくて。なので最初作っていたのは椿の木のボタンなんです。」

椿の幹の断面が見えるボタンは、一つ一つ形・大きさが違い、選ぶだけでも楽しくなります。椿の木のボタンをあしらったヘアゴムは、髪留め以外にもスカーフやストール留めにも。

自然素材なので、綿や麻などナチュラルな素材の布地によく合います。

ぬくもり感じるカトラリー

その後カトラリー作りもはじめた川口さん。

椿を中心に五島にある木を使い、スプーンやフォーク、お箸など種類も豊富です。

「一番好きなのはスプーン作りです。実は形も2種類にしているんです。柄の部分が真っ直ぐなものと、丸みを帯びているものと。

お客様とお話ししながら、合うものをおすすめしたり、実際に持ってもらってしっくりくるものを探していただきます。」

少しずつ、形を変えて

木材は、伐採のタイミングで新上五島町椿木工技術振興会や会員に連絡がくるため、現地に出かけて調達します。それまでは廃材となっていたものが、こうして作り手さんたちの手に渡り、様々な形に生まれ変わります。

「製材から自分でやっています。なので平日はもっぱら制作作業です。椿の木は、年間1ミリほどしか成長しないので、他の地域は細いものが多いんです。でも、昔から椿が豊富だった五島は、幹が太いものが多く、作るものの幅も広がるのでとても恵まれています。

木材は伐採後、数年かけて乾燥させていくので、材料になるまでにも時間がかかります。」

少しずつ、時間をかけて製品となる過程も、年輪をゆっくりと刻む木の成長と重なって、愛着を感じます。

木製ならではの良さ

「仕上げも2種類で、椿油仕上げのものと、塗装をしたものとあります。椿の木は、磨くだけでもつるっとした仕上がりになるので、持った感触がとても気持ちがいいんです。椿油仕上げのものは、オイルを塗り込んだりとお手入れをして頂くことで、より長く使っていただけます。ただ、食器ということで水にも触れますし、気軽に使っていただけるのは塗装仕上げです。

そして木製のカトラリーの良さは、修繕しながら長く使っていただけることです。かけてしまったり、塗装が剥がれたものは、お持ちいただき修繕もしています。」

木・haruのこれから

「ゲストハウスのキーホルダーのご注文をいただいたのですが、そこから色んなご縁にもつながりました。一人で作っているので、今はたくさんの注文をお受けできないのですが、こうしていろんな物作りができるのは楽しいです。

オンラインショップ販売や、製作体験なんかもしていきたいと思っています。

今、プレゼント用の化粧箱も作る予定なので、商品もいろんなシーンでお求めいただけたら嬉しいです。」

海の恵・山の恵

新上五島町に越してきて14年。五島で好きな場所を尋ねると、意外な趣味がまたひとつ見つかりました。

「海にいくのがとても好きで、ここにきてからサーフィンを始めたんです。休みの日など、夫と乗りに行ったりしています。高井旅の海がお気に入りです。」

自然豊かな島ならではの生業と、趣味。川口さんから伝わる穏やかで、暖かな雰囲気も、そんな暮らし方にぴったりと合っていて、お店に並ぶ商品にも現れています。島の恵を様々な逸品に変えて伝える。伝恵さんのお名前の通りで、再び納得してしまいました。

文:藤田 佳子  フォト:橋本 賢太

fullyGOTO2019春号掲載

【取材・執筆・掲載】fully編集部

五島ではたらく若者応援 fullyGOTO2019春号 表紙の顔

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fullyGOTO 2019年 春号

表紙の顔 高浪 洋人さん

今回春号の表紙を飾ってくれたのは、高浪洋人(ひろと)さん。

新上五島町のケーキ屋さん「菓子の木」のパティシエであり、イケメン看板ボーイ。

白のパンツがよく似合う長身でスレンダーなモデル体形でありながら、小鹿のような瞳がどこか幼さも感じさせる魅力的な男性です。さぞかしモテるかと思いきや、現在恋人募集中とのこと。

天職のケーキ職人と出会うまでの道のりは?

小さいときから料理を作るのが好きでした。自分で食べるより食べて美味しいと言ってもらうのが好きで、料理人の道に進みたいとも考えましたが、安定した職業を求め、1度は別の道を目指していました。

でもその道は自分には向いてないと気づき、辞めることを決意。帰郷しすぐにこのお店の面接を受けたのですがその時はご縁がなく、1年間スーパーの鮮魚コーナーで働きました。1年後スーパーを辞めるタイミングで菓子の木の店長に声をかけていただき、念願の職人の道に進むことができました。

ケーキ職人になってどうですか?

自分はやはりモノづくりが好きで、自分の作ったものが人を笑顔にし、美味しいと言ってもらえることで自分も幸せな気持ちになるこの仕事が本当に楽しいです。

お祝いにつきもののケーキ作りは、人を笑顔にする仕事。自分の天職だと実感しています。

お休みの日は何をしていますか?

同級生も殆ど島外に出ていますし、休みが平日なのもあって、あまり外出はせず家で過ごすことが多いです。部屋の掃除をしたり、一緒に住んでいる祖母の外出のお供をしたりしています(笑)

 

応援企業 菓子の木様

新上五島町、有川の中心地にほど近い、住宅街に建つ手作りケーキのお店「菓子の木」は創業32年。

店長の川崎正治さんが大阪で修業をしたのち帰郷、一代で築きました。有川内で3度の移転をし、今の場所に落ち着いて丸5年、今年6年目を迎えます。お店のモットーは「大きくて、安くて、美味しい」こと。

店頭に並ぶ商品ラインナップの9割以上は創業当時から変わらないというから驚きです。

商品のレシピとお店のモットーは修行先の社長から受け継いだもの。今は小さくて高価なケーキ店も多い中、この味と大きさは創業当時のまま。中でも一番のおすすめは「スフレチーズケーキ」。いただいてみましたがほんとに大きくてびっくり。お値段も370円(税抜)とお財布にも優しいのです。味は言うまでもありません。ほかにもモンブラン、ショートケーキ、シュークリームなど定番商品があり、この4種類が美味しいお店は間違いないと店長は言います。

地域のおじいちゃんおばあちゃんがなつかしがって買ってくれたり、最近では観光のお客様が「大きいですね?」と買っていかれることも増えたそう。

店長が30年以上やって分かってきたこと、それは、良いものは一周回ってもまた選ばれること。「儲けてビルを建てようなどとは思いません、ただ地域に愛されるケーキ屋としてとにかく長く続けていけたら」今後も庶民的な味としてリピートして食べたいケーキを作り続けたいと、穏やかな笑顔で話してくれました。

※お店の営業時間は10時~18時まで。

(ケーキがなくなり次第閉店する場合もございます)定休日なし

バースデーケーキ等のオーダーメイドも承っています。注文は基本前日まで。

ホールケーキのデコレーションでキャラクターの依頼がある時は看板ボーイの高浪さんが腕をふるいます。「彼には絵心もあり、美的センスもあるので、彼に任せています」と店長。

創業当時から続くお店の味を惜しみなく教え、それに答えていく若者。

後継者問題が深刻な今の時代に、こんな素敵な関係を築けている菓子の木さん。店長のお人柄がうかがえます。

彼の働きぶりはいかがですか?

まだ就職して1年ですが、ほんとに覚えが早いし才能があると感じています。お店で出している商品の殆どを作ることができますし、任せられることが多くとても助かっています。

仕事に向かう姿勢や、なによりフィーリングが合いますし、一緒に仕事がしやすく、とても教え甲斐があります。直感でこの子いいかなと思ったのは、間違いではなかった。まさに運命的な出会いだと思っています。

今後彼に期待することは?

若者ならではの自由な発想とアイデアで新しいものも生み出しつつ、先代の味や大事なものは継承していってほしいですね。地域の為になるような仕事、地域に愛される仕事を続けて行ってほしいと思っています。

fullyGOTO2019春号掲載

【取材・執筆・掲載】fully編集部

第17回 五島で輝いている人

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ユトリパンコヤ*ブランブラン

伊藤 砂織さん

土曜日の朝十時、三井楽のとある交差点に行列が。

それぞれが談笑しながらお店の中を覗くその先には、もっちりと膨らんだベーグルが並んでいます。

今回ご紹介する輝いている人は、三井楽にできたベーグル店「ユトリパンコヤ*ブランブラン」の店長伊藤砂織さんです。

白神山地の酵母との出会い

OL時代に通い始めたパン教室で出会った白神こだま酵母。秋田県と青森県の県境にまたがる白神山地の腐葉土から生まれた、製パンに適した優秀な天然酵母です。

「この酵母は誕生した過程がすごく神秘的で。特徴の面でも、砂糖や油脂が少なくても、甘みが出てふっくら膨らむ所がとても魅力でした。最初は一般的なパンで事業計画も作ったんです。でも、卵・乳製品・バターなどの油脂を使わないベーグルのみを扱おうと決めました。」

千葉で開業した8年半前

千葉で暮らしていた伊藤さんは、2009年にベーグル店を千葉で開業。忙しい日々を送っていました。

「子供を見る時間がなかなか取れなかったり、もどかしさもあって。もう少し、ゆとりのある生活をしたいなと思っていました。その中で、引っ越すなら五島一択で考えていたので、子供がまだ3歳のこのタイミングがいいのかなと。」

巡り合ったのは旧床屋さん

「店舗探しの条件は、店舗と自宅が同じ建屋であることでした。ゆっくり子育てとパン屋ができたらいいなと思っている中で、この場所を紹介していただいて。海も公園も歩いてすぐに行けて、スーパーも近くにある環境の良さから決めました。

前に床屋さんだったので、名残も結構残っていて、それがそのまま使えていたりします。」

お店を入って右側には、待合スペースだった名残が。小さい子供が絵本を読んで待っていたり、買い物の後ちょっと座っておしゃべりをしたり、お店の形が変われど、人の集う場所は変わらず残されています。「本当は、もう少しお客様とゆっくりお話したいのですが、ありがたいことにオープンからたくさんの方に足を運んでいただくので、お待たせしないようにとレジ打ちで精一杯になってしまって……。

これから、もう少し落ち着いてきたらいろんな方ともっとお話をしながら、お店も変化していければと思っています。」

ベーグルができるまで

ショーケースいっぱいに並ぶベーグルは種類も豊富です。しかも、どれも魅力的な内容で悩んだ挙句「全部!」と言ってしまいそうなほど。この多種多量のベーグルを、現在は伊藤さんお一人で材料の調達や仕込み、製造をしています。

「数種類のパン生地を前日に仕込みをして、店頭では約15種類のベーグルを販売しています。千葉のお店はスタッフ入れて4人でやっていたので、一人作業がまだ効率よくできていなくて……朝から晩までかかってしまったりもしています。

次の日は早朝から焼く作業があって、包装して開店。

主人にもたまにレジを手伝ってもらって助かっています。」

これから楽しみがたくさん

「食材も、地元のものをもっと使っていきたいので、いろいろな生産者の方ともお会いしていきたいです。五島産の青のりも探し中です。鯖の燻製を使ったり、和ベーグルの種類も増やしていきたい。これから余裕が出てきたら、パン教室もやっていきたいなと思っているので、そういった中でもいろんな方とお話できたらいいなと思っています。」

今回の取材で見た、ベーグルを作る真剣な眼差しと、これからの事を語る楽しそうな表情。この伊藤さんの魅力は、ベーグルを食べると、さらに納得。幸せな気分になる味でした。

fullyGOTO2018冬号掲載

【取材・執筆・掲載】fully編集部

五島ではたらく若者応援 fullyGOTO2018冬号 表紙の顔

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fullyGOTO 2018年 冬号

表紙の顔 末留 進人

今回、表紙を飾ってくれたのは、五島市では葬儀社、福岡では飲食店のオーナーと2箇所を拠点に活躍されている末留進人さん(27歳)。表紙では、真顔でキメていただきましたが、普段は笑顔も爽やかな好青年。これからの五島を引っ張っていってくれる存在の一人ではないでしょうか。今後の末留さんの活動に目が離せません。

これからどういう活動をしていきたいですか?

会社で出来ることを増やしていきたいと思っています。今は福岡のお店をもっと大きくしたいと思っています。月に1度、2・3日福岡には行っており、お店の手伝いなどもしています。

五島にあったらいいなと思う物はありますか?

元々福岡でお店を始めた理由に、いずれ五島にそのお店を持ってきたいというのがありました。五島にはない洋服屋さん、ファーストフードなど福岡にあるけど、五島にないサービスを持ってきたいなという想いもあります。娯楽にしろ、サービスにしろ、若い子たちの選択肢を増やしたいと思っています。

応援企業

末留葬儀社 様

株式会社末留葬儀社様は進人さんの父、末留厚志さんが平成22年10月に創業されました。進人さんは、大学卒業後6年前に家業を継ぐため五島へ帰って来られました。平成26年より事業所の移転に伴い、株式会社となり、進人さんを代表として現在の形態にて事業を行うようになりました。

「葬式は結婚式などと違って、突然のことなので、お客様の予算や様々なご要望に応じるよう心掛けています。」

五島市幸町3番地19  TEL:0959・88・9551

ひなかの  様

ひなかの様の始まりは、進人さんが福岡での大学在学中に、近所に住んでいた友人と意見が合致したことからです。今店長をしてくれている友人は、料理の修業をずっとしていました。私も五島に帰って来た時に葬儀屋をすると決めていて、葬儀屋でも仕出し等が必要ですし、私自身葬儀屋以外でも福岡でも仕事がしたいなと思っていました。そして平成29年10月、福岡薬院にひなかのをオープンしました。

和食、日本酒がメインで、食材は五島からも仕入れを行っています。人気メニューは【八寸800円・猪メンチカツ650円・鴨治部煮1200円・(五島)島楽650円・(福岡)杜の蔵 斗瓶絞り800円】などがあります。

福岡市中央区薬院3丁目11番30号  TEL:092・521・6900

fullyGOTO2018冬号掲載

【取材・執筆・掲載】fully編集部

第16回 五島で輝いている人

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桶光

宮崎 光一さん

日本でもめずらしくなっている桶職人を生業としているのは、宮﨑光一さん、26歳。

小学生の頃からお父さんと一緒に桶職人の元へ通い、小刀で木を削るのが楽しく、コマや竹トンボをつくったりして“モノづくり”の楽しさを感じていたと言います。

実際に夏休みの工作で桶をつくったり、成長する過程でも桶職人の元へ通ってはいたものの、「まさか、自分が桶職人になるとは思っていなかった」という光一さん。

そんな彼を「桶職人の道」へ導いたのは、何だったのでしょうか?

桶職人になることを決意したきっかけ

単純に言うと、2016年1月に小豆島(しょうどしま)で行われた「木桶職人復活プロジェクト」がきっかけでした。

ただ、最初、そこに参加したのは「(大きな桶づくりを)どんな風につくっているんだろう?ちょっと見てみよう!」というとても軽い気持ちでした。

ですが、実際に見てみると自分たちがつくっているものをつくるのと、理屈は同じだがスケールが全く違いました。そして、何よりも桶に携わる人が多いことにとても驚きでした!その中でも自分と年齢が近い30代前半の現役の桶職人がいたのは、かなり衝撃でした。なぜなら、自分の中で「桶屋」を職業としてみていなかったからです。実際につくって、売って、それで生計を立てている… もちろん、自分の師匠もそうやってきていましたが、それは一昔前の話。現在、この時代に若くて現役バリバリでされている人に初めて出会い、正直「カルチャーショック」でした。

それと、桶を使っている人たち、例えば他の蔵(くら)の方たち、そしてその蔵でつくっている味噌や醤油を使っている料理人さんなど、細かい関わりをしている人たちがとても多く、全国的に桶を必要としている人がこんなにたくさんいる。なくて困っている人もいる… そういう状況を目の当たりにして、「自分が桶屋にならないといかん。独立しよう。」という思いが芽生えました。それと、その1ヶ月前に師匠から「一人でやる準備をしておけ」と言われていた言葉もリンクし、すべてが「タイミング」と感じ、独立を決意し、その後2016年4月には「桶光」を開業しました。

大切にしていること

「桶」というモノは、一度買ってそれをそのまま一生使うというモノではなく、メンテナンスをしながら長く使ってもらうモノなので「修繕しやすいように」、そして「50年後も100年後も使えること」を見据えてつくっています。

これまでも、何十年も使っているものの修理を頼まれることがありましたが、きちんとつくられたモノはタガを取り替えて、木の表面を削るだけでピカピカになり、新品同様に仕上がります。

もちろん「使えなくなったら捨てる」という文化が悪いとは思っていませんが、自分は一つのモノをそうやって長年大事に使うことが好きですね。

そして、もう一つ大切にしているのが桶についての「正しい知識」を伝えていくということ。例えば、カビてすぐに使えなくなるのではないか?などの間違った情報だけで、この桶が消えていくのはもったいないと思うので、実際に桶とは「どういうモノか?」「どのようにしてつくられ、どんな風に使えばいいのか?」などをお伝えするワークショップを行っています。今は県外の催事で販売する際に行っていますが、これからは、五島の中でも行っていく予定です。

独立して大変だったこと

独立するまでは、自分がおもしろくて趣味的な感覚でつくっていましたが、仕事として人にお金を出して買ってもらうとなったときに、自分のつくりたいモノではなく、相手の求めるモノをつくる必要があるということに戸惑いがうまれました。例えば、現代使用する上で使い勝手の良いモノにするためには、自分の中の「桶とはこういうモノ」という考えを捨てる必要があり、趣味の領域から仕事の領域につくり方や考え方を変えることが、最初の一年とても大変でした。そして、この大変な時期を乗り越えられたのは、大阪のきしな屋さんの多大なご協力があったおかげでした。今もお客様のご意見を取り入れながら、もっと良いモノを… という意識で常に改善改良をしています。

五島の伝統芸能とともに…

最近は五島の伝統芸能であるチャンココで使われている桶太鼓の修理を頼まれることもあります。それと修理だけではなく、新しくつくりたいと依頼があり、とても嬉しく感じました。五島の人口はどんどん減っていて、伝統を引き継いでいくことは、決して容易ではないことを考えると、自ずと「良いモノをつくらないかん!」と気持ちも引き締まりました。幸い自分はまだまだ20代、生涯現役と思っているので今後50年以上は面倒見ていける… それが、自分の役割のように感じています。

今後の方向性

全国に「桶」を拡めていくというビジョンの元、ワークショップなどの活動範囲を広げていくことと、更にSNSなども活用していくことを考えています。

また、これまでは「桶に興味のある人」を対象に詳しい説明を加えて深い話をしていましたが、これからは桶にまだ興味のない人にも桶の魅力を伝え、少しでも興味を持ってもらい、桶を使用する人たちを全国的に増やしていきます。

fullyGOTO2018秋号掲載

【取材・執筆・掲載】fully編集部

五島ではたらく若者応援 fullyGOTO2018秋号 表紙の顔

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fullyGOTO 2018年 秋号

表紙の顔 藤原 理穂さん

今号の表紙に登場していただいたのは、新上五島町の居酒屋「海鮮処 酔道蔵(すいどうこ)」で働いている藤原理穂さん(26)。島を離れたことがない生粋の上五島人です。表紙ではしっとりと落ち着いた雰囲気ですが、よく動いて何でもテキパキとこなす仕事ぶりは店主の信頼も厚く、今やお店に欠かせない存在となっています。

高校を卒業後、島を離れる子どもがほとんどです

私は、ずっと島で暮らしています。島を出ようと思ったことも、出たいなと思うこともありますが結局、残っています。今は、平和に暮らしていくことができれば、それでいいと感じています。小学生のころはお花屋さん、中学・高校生のときは料理関係の仕事に就くのが夢でした。

酔道蔵での仕事のやりがいは?

スタッフが私しかいない日は、忙しくなってしまうと少しキツいな、と感じることもあります。ですが、そんな日は仕事をやり終えたときに達成感もあって、やりがいを感じます。

それと、私以外に若いスタッフがあと2人いますが、みな仲が良く、ワイワイと職場の雰囲気も明るくて楽しいです。

若者目線で、島にあったらいいと思うものは?

24時間営業している食べ物屋があったらいいな、と感じています。島では、どのお店も早く閉まってしまうので。ファミレスがあってもいいですね。

応援企業

海鮮処 酔道蔵 様

「酔道蔵」が店を構えるのは、飲食店が数多く集まっている新上五島町の中心市街地・浦桑地区。店主の江口真良(えぐちまさよし)さん(45)は大阪で10年以上、和食の修業を積んだ経歴を持つ本格派です。

お店は3年間、現在の形態でオープン。地元でとれた海・山の食材と、焼酎を中心とするこだわりの地酒で人気を集め、常連客も多いようです。

人気メニューは、やはり「刺身の盛り合わせ」(1500円)や「すり身揚げ」(600円)といった島らしい魚料理。刺身の盛り合わせはカツオやアジ、イカなど、脂ののった旬の魚をふんだんに使い、来店者を満足させています。

 もともと理穂さんの妹さんが酔道蔵で働いていましたが退職したため、店主が顔見知りだった理穂さんに働かないか、と声を掛けました。

「お客さんが少なそうな時は私と2人で店を回しますが、よく働きどんな仕事もスペシャリスト」と江口さんもその仕事ぶりには太鼓判。今や、なくてはならない存在のようです。

理穂さんは、非常に評判がいいそうですね

とても人あたりが良く、お客さんの気分もよくしてくれるので、客商売に向いていると思います。接客から洗い物など中の仕事まで何でもこなしてくれ、とても助かっています。

fullyGOTO2018秋号掲載

【取材・執筆・掲載】fully編集部

第15回 五島で輝いている人

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くらしの学校「えん」

小野 敬さん

神奈川県横浜市で生まれ育った小野敬さん、45 歳。大学を卒業後、東京に就職されましたが、1 年で退職。かねてより夢見ていた「自給自足のくらし」を実現したい想いで国内外を旅し、縁あって五島( 中通島) へ25 歳のときに単身で移住。全財産は4 万円だったと言います。廃屋同然の家に住み、生活環境を整えるため、湧き水を引き、橋をかけることから始められ、塩づくりをスタートされました。それから20 年目に入る今年、現いま在では、年に3 回「しまキャンプ」を開催し、昨年度より山村留学生の受入れも積極的に取組まれています。単身で始めた生活も14 年前に人生の伴侶を得、お子様にも恵まれ、にぎやかな暮らしになりました。

「自給自足のくらし」を夢見るようになったきっかけと五島に辿り着いた経緯をお聞かせください。

元々は、田舎のこどもが都会に憧れるように、都会で生まれ育った自分にとっては田舎のくらしが憧れでした。

こどもの頃は、 ※「北の国から」というドラマが好きで、よく観ていました。

そんな子供時代を過ごし、大学生になって行った北海道一周旅行では「必ず『富良野』には立ち寄ろう」と決めていて、実際に行きました。そのほか、ブラジルやアメリカにも旅をし、そのような暮らしをしたいという想いは更に高まりました。

大学卒業後はサラリーマンも経験しましたが、その想いはなくなることはなく、1年で退職し、理想の生活を送るための場所を探す旅に出ました。2年半ほど、日本全国をヒッチハイクをしたり、お金がなくなれば現地でアルバイトをしたりという生活を送り、ほぼほぼ「長野県」で決まりかけていた頃、もう一度九州に行ってみたくなりました。

そんなとき、友人から五島で「自給自足生活を送っている人がいる」と教えてもらい、お会いする機会を頂きました。その時、一緒に「塩づくり」をされている方とも話ができ、「これから『塩づくり』を地域の産業にしていきたいから、若者の手を借りたい。」ということで、お誘いを頂き、二つ返事で移住を決めました。

※1981 年~ 2002 年北海道の富良野市が舞台。

大自然の中で暮らす一家の姿を描いたドラマ

「くらしの学校『えん』」の名前の由来を教えてください。

えん…塩づくりの「塩えん」。ご縁がつながる「縁えん」。循環する「円えん」。他にも色々ありますが、主にこの3つの「えん」の意味から名付けました。

「しまキャンプ」を始めたきっかけは何ですか?

友人に誘われスタッフとして大村で開催されたキャンプに参加した際に、「自分でもやりたいなぁ」という想いが芽生えました。翌年、文部科学省委嘱事業として補助金の募集があったので応募したところ採択されたので、それをきっかけに始めました。一番初めの参加者は11人でした。火をおこすための流木集めから始まり、自分たちで火もおこすので、それがなかなかうまくいかず、一日中ご飯を作っていたのを思い出します。女の子の参加者もいて、最初は「家に帰りたい」と泣いていましたが、キャンプが終わる頃には「家に帰りたくない」と泣いていました(笑)。普段何気なく与えられている生活環境のひとつひとつを自分たちの手でつくり上げることによって、その大切さに気づき、感謝する心をもち、自分ひとりでは出来ないことを仲間と助け合うことで克服し、協調性・社会性をはぐくんで欲しいそんな想いから開催しています。現在では春・夏・秋と年に3回定期的に開催し、今年の夏では47回目を迎えます。参加者は、長崎県内を中心に九州北部地区から来られる方々が主ですが、全国各地から集まります。

「山村留学」を始めようと思った理由、そして実施されてみていかがでしたか?

これまで18年「しまキャンプ」をやってみて感じたのが、キャンプはどうしても短期間なので、「非日常」であり、「思い出」という形で終わってしまうということです。そうではなく、日常をこの場所で過すことで感じることはもっともっとたくさんあるので、それを味わわせてあげたいという想いから昨年度から受入れを始めました。実際、一年間過してみて、思っていた通り留学生にとってはもちろんですが、地元の子ども達にとっても素晴らしい影響や成果があったように感じています。

今後、目指すところを教えてください。

自給自足生活のベースは、ほぼできつつあるので、今後は山村留学生の受入れに力を入れていきたいと思っています。常時3名の留学生がいるのが理想ですね。

fullyGOTO2018夏号掲載

【取材・執筆・掲載】fully編集部